
第十二回:貿易立国ニッポンの原点・横浜港【前編】・【後編】
[内容]
【前編】国際貿易の拠点として「日本の表玄関」と呼ばれる横浜港。今年開港150周年を迎える。
江戸末期、日本はアメリカに迫られて鎖国を解いた。「開国」か「攘夷(じょうい)」か国論は二分したが、明治政府は外国との貿易を推し進めることで日本の近代化を図る道を選んだ。今から150年前、わずか100戸で半農半漁の小さな寒村だった横浜が、日本を代表する港へと発展を遂げていく原動力とは何だったのか。
【後編】日本が鎖国を解き、横浜が外国に開かれると欧米から商人が押し寄せてきた。彼らは外国人居留地に住み、さまざまな西洋文化をもたらした。古い洋館が並ぶ山手地区には今も当時の雰囲気が色濃く残っている。そして山下公園に係留されている横浜港のシンボル「氷川丸」。戦前、戦中、戦後と時代の波に翻弄されながら、数々の貿易品や旅客を乗せて外国航路を往復した。若き日にこの船で太平洋を渡った経済学者・榊原英資氏が、3等客室で過ごした2週間の想い出を語る。




第十一回:鉱山町に造られた理想郷 工業都市 日立(茨城県日立市)【前編】・【後編】
[内容]
【前編】新日本石油と経営統合することになった新日鉱ホールディングス。その前身である日本鉱業は日立製作所、日産自動車など世界に名だたる企業を擁した日産コンツェルンの中核だった。この巨大な企業群の源流をさかのぼるとある場所にたどりつく。鉱山町として産声をあげた工業都市、茨城県日立市である。
日本四大銅山のひとつである日立鉱山。開発が本格的になったのは、日露戦争が終わった1905年だ。近代化を目指す日本にとって、工業力を高めるためには金属を輸入に頼らず国内で生産する必要があったのだ。
今回は、独自の経営方針で鉱山を発展させ、日立に理想的な工業都市を築こうとした、ある実業家の物語である。
【後編】鉱山町から工業都市に発展した日立市からは数々の世界企業が生まれた。日立製作所もそのひとつ。日立鉱山で使われていた機械の電気修理工場がその原点である。ここで若き日の創業者が開発した、国産初のモーターから日立製作所はスタートしたのだ。
そして、今では日立のシンボルとなっている鉱山の“大煙突”。完成した当時世界一の高さを誇ったこの煙突は、急激な工業の発展がもたらした煙害対策として作られたものだった。
今回は、日立鉱山をめぐる公害との闘いの歴史と、モノ作りの街、日立の原点を築いたあるエンジニアの物語をお送りする。




第十回:京都近代産業の幕開け【前編】〜伝統が生んだ最先端技術〜・【後編】〜古都復興をかけた琵琶湖疏水〜
[内容]
【前編】数多くの歴史的遺産に恵まれ、優雅な伝統文化が息づく町、京都。そこはまた、モノ作りで世界のトップを行く個性的な企業が集まる町でもある。京セラ、村田製作所、堀場製作所、島津製作所、日本電産と枚挙に遑がない。このような企業が持つ独自の製品を生み出す力は、京都で長年培われてきた伝統技術の中から生まれてきたのだ。
精密機器メーカーのパイオニアである島津製作所。京仏具の職人だった創業者の島津源蔵はなぜ科学に目覚めたのか?村田製作所が誇るセラミックコンデンサは清水焼と深いつながりがあるという。最先端の電子部品はどうやって生まれたのか?そこには、伝統を重んじながら常に新しいものを取り入れようとする、京都ならではのモノ作り精神があった。
【後編】794年平安京が作られて以来、千年の都として栄えてきた京都。1869年の東京遷都で多くの人が京都を離れ、人口は減り産業も衰えていった。この街を再生させるにはどうすればいいのか。京都の人々は産業の近代化を図ることを考えた。
しかしそこには大きな問題があった。長年悩まされてきた水不足である。これを解決するために計画されたのが「琵琶湖疏水」の建設という一大事業だった。琵琶湖から京都まで水路で結べば、産業や生活に必要な水を送るだけでなく、水運や発電にも利用できる。日本国内でもかつてない大規模な難工事を、日本人だけで成し遂げた琵琶湖疏水。
それは京都の産業を再生させる大きな原動力になると同時に、日本の土木工事における独立宣言をもいえる偉業だった。




第九回 … ワインにかけた夢と情熱 甲州勝沼のワイナリー(山梨県甲州市)【前編】・【後編】
[内容]
【前編】日本でワイン造りが始まったのは明治初期。西郷隆盛、木戸孝允と並んで明治維新に尽力した大久保利通が、殖産興業政策の一環としてワイン製造を奨励したのがきっかけだった。
日本のワイン発祥地は山梨県の勝沼町。古くから甲州ぶどうの産地として知られるところだ。今から120年あまり前、この勝沼から二人の若者がワイン造りを学ぶため本場フランスに渡った。彼らがもたらした技術が日本におけるワイン造りの礎となったのだ。試行錯誤の末、日本初のワインを世に出したものの、二人のワイン会社はあえなく解散。本来のワインが持つ独特の風味を日本人が受け入れるには、それからまだ半世紀以上の年月を必要としたのだった。ワインがまだ葡萄酒と呼ばれていた時代、ワイン造りに生涯をかけた明治の男たちの物語である。
【後編】日本初のワインを誕生させた山梨県の勝沼ではその後、輸送手段や保管施設など産業としての基盤を着々と整えていった。1970年代に入ると欧米の食文化がより身近になり、日本人の嗜好も徐々に変化。それまで主流だった“甘口の葡萄酒”ではなく、味や香りを重視した本格的なワインを求める人たちが増えてきた。こうした状況を受けてワイン業界では新たな挑戦がはじまった。近年、勝沼産の白ワインがフランスの権威あるワインコンクールで入賞し、世界の注目を集めている。そこには、先人たちの技術を受け継ぎ、甲州ワインを世界レベルに高めようと日夜取り組む、現代の醸造家たちの情熱があった。




第八回 … 北の大地を拓いた先駆者たち 札幌農学校(北海道札幌市)【前編】・【後編】
[内容]
【前編】北海道の都道府県別食料自給率は200%。全国平均39%をはるかにしのぐ日本のトップである。かつて北の大地を切り開いた先人たちの賜物だ。
今から約140年前、明治政府はロシアの脅威に備えるため北海道開拓に乗り出した。明治維新で職を失った士族に北方の警備と開墾をさせる「屯田兵制度」は、西郷隆盛の発案がもとになって創設されたものだ。そして同時に、この広大な土地でアメリカ式の近代的な農業を普及するために作られたのが札幌農学校である。「少年よ、大志を抱け」の
言葉で知られるクラーク博士が初代教頭を務めた。
北海道農業の基礎を築いた先駆者たちの足跡をたどるとともにフロンティア精神を受け継いで最新の農業研究に取り組む人たちを紹介する。
【後編】明治以降、日本人の食生活は急速に洋風化が進んだ。そのきっかけとなったのが牛乳や乳製品だった。今、北海道の特産品としてバターやチーズなどが知られるように、日本で本格的な「酪農」がはじまったのは北海道で、その基礎を築いたのが札幌農学校である。
初代教頭を務めたクラーク博士は、実践を通じてアメリカ式の酪農を学ばせた。それは学生の食生活にまで及ぶ徹底ぶりだった。日本でまだ牛乳を飲む習慣もない時代に、学生たちの寄宿舎での食事は乳製品を使った洋食と定めたのである。
札幌農学校、そして「北海道酪農の父」、「牛作りの神様」と呼ばれた先人たちの功績は現代にどう受け継がれているのか。日本に食の洋風化をもたらした北海道の酪農の歴史をひも解く。




第七回 … 明治に華開いた避暑地文化 日光金谷ホテル (栃木県日光市)【前編】・【後編】
[内容]
【前編】明治維新の時、開国に伴って欧米から多くの外交官やビジネスマンたちがやってきた。彼らやその家族が滞在する避暑地の外国人専用ホテルとして、日光金谷ホテルは誕生した。現存するわが国最古のホテルとされる。宿帳にはヘレン・ケラーやアインシュタインをはじめ、世界各国の著名人の名が残されている。当時、金谷ホテルは宿泊施設であると同時に、人や文化の出会いの場として重要な役割を果たしていた。日本の国際化を影で支えた老舗ホテルの魅力と、その誕生に秘められた運命的な出会いを紹介する。
【後編】明治のはじめ、外国人専用のホテルとして創業した日光金谷ホテル。夏でも過ごしやすい日光には、東京の蒸し暑さから逃れるため外交官など外国人たちが押し寄せた。「夏は外務省が日光に移る」といわれるほどのにぎわいだったという。彼らが中禅寺湖で優雅に休暇を楽しむ光景を収めた貴重な16ミリフィルムが残っている。
こうした外国人目当てに地元では洋風の大型ホテルが相次いでオープン。先駆けである金谷ホテルは一転、苦境に立たされることになった。日光で繰り広げられた華麗なる避暑地外交と知られざる明治のホテル戦争の歴史をひも解く。


